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ロングライフ・ロングバース訴訟『選べなかった命』読了

何年も前になるが、こんな記事を書いた。
出生前診断の告知ミスを受けての裁判についての私見。
https://taijichiryo-memoirs.com/news/20151023

記事を書いてから日々に忙殺されていたところ、ひょんなきっかけからこの訴訟について書かれた本の存在を知った。
『選べなかった命 出生前診断の誤診で生まれた子』。


いてもたってもいられなくなり、図書館で借りて一日で読了した。

本件裁判の争点

この裁判は
・出生前診断(羊水検査)で陽性だった妊婦に医師が誤って陰性と伝えたことで、子供を中絶する権利を奪われた両親への損害賠償訴訟(ロングフルバース 『wrongful birth』 訴訟)
・正しく出生前診断の結果を伝えられていれば生まれてくることはなく、苦しまずに済んだ子供への損害賠償訴訟(ロングフルライフ 『wrongful life』 訴訟)
という2つの側面を持つ。
特に『ロングフルライフ』という概念に関しては、日本で初めて争われた訴訟であるということで注目を集めた。

また、
・亡くなった子供は出生前診断(羊水検査)で見逃されたダウン症(21トリソミー)で生まれてきたこと
・生後3ヶ月でダウン症に起因する肺化膿症や敗血症のため亡くなったこと
・原告には既に3人の子どもがいること
ということも考慮すべき点だと思う。

被告の瑕疵と原告の損害

私も羊水検査を受けその結果の紙を見せていただいたことがあるので解るのだけど、羊水検査の結果の見落としは完全に被告の人的なミスである。

羊水検査の紙には各染色体の画像と染色体異常の有無について英語ではっきりと書かれており、画像を判読したり診断を下したりするのは検査機関だった。
その結果を見落としたというのは被告の決定的な瑕疵だったとしか言えない。

そのため、被告に対して原告が正しい診断結果を伝えられなかったことに対する何らかの損害があるということに異論を挟む余地はない。

原告には既に3人の子どもがいることを考えれば、『障害のある子どもを育てることが難しいため妊娠継続を断念する』という機会を失ったという『ロングフルバース』に関する損害は認められるに足るものだと思う。

個人的には、胎児が致死的な病気を患っている場合の妊娠継続の断念以外は命の選別だという気持ちはあるが、それが綺麗事だという意見があることも判る。
私自身、今となっては周囲の反対を押し切り主人を説得して第一子の胎児治療に踏み切れたのも、『異常がある子どもが第一子だったからできたことだ』と思う部分もある。
この原告には既に3人の子どもがいたことを考えれば、そう簡単に妊娠継続を決断できるかと言えば難しい部分もあると思う。

ただ、『ロングフルライフ』を医師に訴えるというのが私にはどうしても理解できなかった。
実際に第一子を先天的異常で授かったことで私自身も苦しい思いもしたし、憤りも悲しみもあったが、それは私が健康な体を彼に授けてあげられなかったからだと思っているし、医師に対してそれを訴えるというのは他責的な逃げではないかという気持ちがあるからだ。

本当の争点は『ロングフルライフ』ではなかったのではないか

実際にこの本を読み進めてみると、裁判を起こさないと医師会に設けられている医事紛争処理委員会と保険会社が動くことができないと医師側から言われたことから裁判を起こすことになったという記載がある。
それが本当であれば、実際にこの医師の瑕疵によりこの原告が苦しんだことに対する補償を受けるために裁判をする必要があったのは仕方がないと思う。

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また、実際に被告である医師が誤診をしてしまった赤ちゃんが存命のうちは親身になってくれていたのに、亡くなってから態度が冷たくなったと感じたことなどから、赤ちゃんに対して謝ってほしいと感じるに至ったという原告の心情が判らないわけではない。
悲しみの渦の中で追い打ちをかけるような対応をされれば、心が閉ざされていくのは仕方のないことだ。
実際に私も胎内で第一子が亡くなった後のお産についてB医師が『亡くなった赤ちゃんはお母さんにとって異物ですから、早く出してあげないといけない』と言われ、こんな酷いことを言えるのかと憤りを感じたし、安心してお産をゆだねられるという気持ちにはならなかったから。

原告は、赤ちゃんが亡くなってからの産科医の対応の変化に傷つき、謝ってほしかったのだろうと思う。
安心して迎えられるはずだったお産で別の病院に緊急搬送になり、羊水検査で陰性という結果を得ていたはずの子どもはダウン症だった。
それは想像を絶する衝撃だっただろう。

また、原告は裁判の経過で『ダウン症だとわかっていれば中絶した』と断言していた訴状を『中絶した可能性が高い』と変えている。
生まれた赤ちゃんを見てその愛おしさから、裁判で不利になるであろう『中絶した』という断定した表現を弱めたというところからも、その葛藤が窺い知れる。

愛おしいその子は医師の誤診がなければ会えなかった命であることは確かだが、その結果だけを見て訴えを起こすべきではないというのは乱暴だ。
確かに正しい診断結果を得られていたら生まれることはなかった命かもしれないし、自らの選択として妊娠継続を断念したというまた違う形の苦悩を抱えることにはなったであろう。
それでも、誤った診断結果を伝えられたことで、原告は誰とも共有しえない悲しみ、憤り、苦しみを与えられたことには間違いないのだ。

だからこそ、『ロングフルバース』『ロングフルライフ』という概念ではなく、もっと違った形で医師に対して謝罪を求めることができなかったのかと思う。
裁判を起こす理由としては弱いのかもしれないけれど、『出生前診断の誤診により、産後の大事な時期の精神の安寧を奪われた』とか、『誤診により生まれた子どもに対して、存命中は親身になってくれたのに亡くなった後は軽視されたことは不当だ』とか。

この裁判を『ロングフルバース』『ロングフルライフ』という概念の裁判にしたことにより、実際に染色体異常で生まれた子どもやその家族が傷つき反発したという事実がある。
だが、この本に書かれているように、原告が後に看護師として患者であるダウン症の子と接して可愛いと感じていたこと、すでにいるダウン症の子の存在を否定しているように感じさせてしまったのは申し訳なかったと思っていることを考えれば、違う争点で争うということができなかったのかと思う。

原告は決して身勝手な争点で争っている母親などではなく、むしろ慈しみ深い部分をたくさん抱え苦しんでいるということを、この本を読んで窺い知ることができた。
それだけに、争点を『ロングフルバース』『ロングフルライフ』としたことで、『子どもを中絶する権利』『障害児は生まれてこない権利がある』という裁判を起こした人とレッテルを貼られ、原告の本当の苦しみが取り残されてしまっているような気がしてならない。

印象に残った様々な立場の方達の意見

この本では、原告以外にも様々な立場の人にインタビューをしている。

羊水検査を受けられずダウン症の子を産んで里子に出した人。
羊水検査を受けられなかったと言って医師を相手取ってロングフルバース訴訟を起こし、そのときの子供を手元で育てている人。
無脳症の子と知りながら妊娠を継続し、看取った人。
ダウン症当事者として日本で初めて大学を卒業した人。
優生保護政策から強制不妊手術をされた人。
本件裁判(ロングフルバース・ロングフルライフ訴訟)の被告である医師の弁護を引き受けた弁護士…。

それぞれの立場があり、それぞれの痛みがある。
それぞれの怒りが、悲しみがそこにある。

個人的に印象に残った言葉をいくつか書き残しておこうと思う。

まず、無脳症の子と知りながら妊娠を継続して看取った方の『この選択ができたのは、どうやっても助かる見込みがない命だったからです』という一言。

無脳症の子どもは、現代医学では生まれても生き永らえることはできない。
障害のある子どもを育てる苦悩はなく、短い命を看取ることならできると思ったということで、自分の選択を綺麗事にしない覚悟を感じた。
まったく違う形ではあるけれど、自分の選択に覚悟を持っている私としては共感に近いものを感じたのだった。

次に、 本件裁判の被告である医師の弁護を引き受けた弁護士の『私は絶対に許さない』『人間が人間の命を選別すること自体』という言葉。

インタビュー中も吐き気がする、裁判中もずっと吐き気がしていた、本当にこの裁判を受けるのが嫌だったというこの弁護士の強い怒り。
当事者ではないからこその強い怒りなのかもしれないと思う気持ちもあるけれど、それでもこの裁判を闘ったこの弁護士のプロ意識たるやすごいと思った。

最後に、 ダウン症当事者として日本で初めて大学を卒業した人がこの裁判のことを知った後に語った『赤ちゃんが可哀想。そして一番かわいそうなのは、赤ちゃんを亡くしたお母さんです』という言葉。

ダウン症当事者でありながら原告の言葉にできない辛さに思いを寄せるこの方の言葉が、この問題のすべてなのではないかという気さえする。

まとめ

報道で知ってからどのような経緯を辿ったのか気になっていた『ロングフルバース』『ロングフルライフ』について争った裁判。
この本で誤診の経緯や裁判の経緯を知ることができてよかったと思う。

また、原告の『被告に謝罪してほしい』という気持ちが 叶えられなかったことは残念だと思うものの、謝罪を求めるのであれば別の争点にするべきだったのではないかと思う。
『ロングフルライフ』という争点での損害賠償を認めることは『授かった命』とその『命の選別』の責任を医師に転嫁することになるので、認められるべきではないと思う。
判決でも『ロングフルバース』の損害賠償については認められたものの、『ロングフルライフ』については認められなかったのだが、妥当な判決だったと思う。

本来、羊水検査などの出生前診断を受けるということは、もし陽性であったときにどうすればいいかもしっかり考えた上でされるべき判断だと思う。
特に、新型出生前診断に関しては、最近は年齢制限や遺伝カウンセリングなしで受けられる病院も増えているそうだが、診断をするだけではなく妊婦さんに寄り添って対応してほしい。

これから母になりたいと思う人、父になりたいと思う人全員に読んでほしい本だと思う。


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