当サイトはアフィリエイト広告を利用しています。

出生前診断の告知ミスをめぐる国内初の訴訟についての私見

妊娠・出産ニュースから思うこと。

ちょっと日にちが経ってしまいましたが
時事ネタをひとつ。

出生前診断の告知ミスをめぐる国内初の訴訟についての私見

ニュースソースはこちら。
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20151002-00039666-gendaibiz-bus_all
※現在この記事はリンク切れとなっています。週刊現代で取り上げた記事があったのでそちらをご紹介します。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/39666

この手のニュースを読むと
いろいろ考えてしまい、
駄文を綴らずにいられないわけです

スポンサーリンク

このご夫婦の悲しみや苦しみは
いかばかりかと思うし
その気持ちには寄り添いたいけれど、
裁判を起こすとなると…という気持ちです。

なんか何度も書いては読み直したのに
余計なことを書いてるような気がしますが、
それでも今の考えを残しておきたいので
そのままUPします。

あくまでこういう考え方の人間がいる、
という程度に読んでいただければと思います。

***********************************

このご夫婦の主張は端的に言えば

出生前診断が正しく告知され
生まれる前にお空に帰してあげられたら、
わたし達は苦しむ子どもを見ずに済んだし、
子どもも苦しむまずに済んだのに。

ということだと思うのだけど。

苦しみのなか亡くなった我が子を思って
辛いのはわかるけど、
医師に対して子どもに謝ってほしいと
言うのはお門違いだと思う。

そもそもこの子に
元気な体をあげられなかったのは
医師のせいじゃない。

出生前診断の結果が正確に伝えられて
生まれなかったとしても、
この子が苦しかったのは同じだと思う。
程度問題でしかない。

生まれなかったら苦しくない?
そんなこと絶対にない。

赤ちゃんは生まれる前から
痛覚だってあるし、
心だってある。
絶対にあると思う。

少なくともわたしは第一子の
胎児手術を受けているとき、
彼の生きる意思を感じていた。

麻酔なしでの胎児手術、
彼の痛みはいかばかりだっただろう。
実際に週数の浅い頃にした
シャント設置手術は2回失敗した。

だけど、それ以降の3回の手術は成功。
週数を重ね感覚が鋭敏になっていくなか
辛くなかったはずはないのに、
彼は手術を成功させるために
懸命に耐えていたのだと思う。

生まれてきたかったからか、
生まれてきてほしいという
わたしの期待に応えようとしてくれたのか、
それはわからない。

でも、手術を受けている間、
わたしは彼に必死に話しかけたし、
彼がそれに応えてくれていると感じていた。

だから、生まれなければ苦しまなかった、
なんていう考え方は
個人的には暴論だと思う。

それに、中絶という言葉で
オブラートに包んでいるけれど、
それはおなかの中で芽吹いている命を
問答無用で奪うということで。

赤ちゃんにとってのその苦しみは
全く勘案されていない様子なのが
とても不思議でならない。

医師の告知ミスから妊娠継続して
重篤な状態で生まれてきたけれど、
中絶という形で命を絶たれたとしても、
この赤ちゃんが苦しかったであろうことは
変わらない。
繰り返すけど、程度問題でしかない。

それならば、
この赤ちゃんが頑張って生まれてきて、
3ヶ月という短いその命をまっとうした
その事実を、純粋に賞賛すべきだと思う。

元気な子どもを授かれなかったことは
言葉にできないほど悲しいこと。

ものすごく苦しいし、
神様を呪いたくなるし、
何で自分の子どもだけって思う気持ち、
それが想像できないわけじゃない。

確かに検査までして
子どもに異常がない旨確認したのに
いきなり重い病気で生まれてきたら
衝撃も混乱も悲しみも憤りも
とてつもなく大きいものだと思う。

だけど、ものすごく残酷なことだけど
そもそもその体はこのご夫婦が与えたもの。

その事実に対する認識が
このご夫婦にあったら、
医師のせいで苦しみの生を…という争点には
ならないのではないかと思う。

確かに決定的なミスをしたけれど、
この記事によれば、事実発覚直後は
自分も一緒に育てさせてほしいとまで
言っていたという医師。
誠意のある対応ではないかと思う。

それから先の態度硬化のせいかもだけど、
誠意をもってご夫婦と赤ちゃんに
向き合おうとした医師を訴えるというのは
少し悲しいと思う。

『生まれる前にお空に帰してあげられたら、
 わたし達は苦しむ子どもを見ずに済んだ』
という気持ち、
ご夫婦の自身に対する慰謝料請求自体は
理解できないわけではないし、
このご夫婦の価値観からすれば
正当なのだと思う
(価値観が違うので共感はできないけれど)。

だけど、子ども自身が
生まれてこなければ苦しまなかったのに
医師のせいで苦しみの生を与えられた
とする訴えは、
問題をすり替えているように思えて
すごく違和感を感じる。

あと、これは蛇足かもしれないけれど。
障碍を理由に妊娠継続を断念する理由は、
経済的にも生活面でも
障碍のある子どもを育てることが
きわめて困難だからだと思う。

でも、この子は3ヶ月でその命を
終えてしまった。

確かにその3ヶ月は
苦しい時間だったかもしれないけど、
親御さんがその子のために
何か負担することはないし、
もう何もしてあげることはできない。

それならば、3ヶ月の短い命でも
その命を見届けることができただけで
幸せなんじゃないかと思ってしまう。

第一子に会いたくて胎児治療を受けても
命ある彼の姿を見られなかったわたしには
そう思えてしまうのだ。

医療ミスは確かにあったわけだから
慰謝料が発生するのは当然かもしれない。

だけど、そもそも障碍を理由とした中絶を
是とするかという倫理的な問題があり、
その選択肢を奪ったことについて
どの程度の責任だと考えるかというのは
裁判で争うのは無理があるように思う。

無理があると言ってもまあ
他に手段がないから仕方ないのだけども。

ただ、個人的には判例至上主義から
この裁判が与える影響は大きいと思うので、
子どもの慰謝料を認めない判決が出て
よかったと思う。

病状が重く痛々しかったかもしれないけど、
この子が実際に生まれて
3ヶ月生き抜いたことは尊いことで、
『不当な人生』と決めつけてしまっては
いけないと思うから。

こういうニュースを見るたびに思うけれど。

何も問題がなく妊娠継続し、
元気な子どもを産む人が多いのは事実。

だけど、妊娠継続に苦労した人も
流産死産、誕生死を経験している人も
障碍をもって生まれてくる子どもが
確かに存在するということは
もっと知られていていいことだと思う。

医療は万能ではないということも。

***********************************

なんかわたしが
すごく冷たい人間だということが
よくわかる文章になってしまった気がします。

わたし自身が
自分が第一子に先天的異常のある体を与えたせいで
死なせてしまったという風に思っており、
それは他人に責任を背負わせるべきではない、
全責任を負うべきだと思っているためでしょうね。

このご夫婦に寄り添いたいと思っているのに
どうしてこう冷たい論調になるのかと思い、
『子どもの苦しみを医師のせいにしてるけど
 そもそもの責任はそこじゃないよね』
と思っているからだと気づきました。

そういう考え方はとても苦しいし、
だから死産直後は自分ひとり生きているのが
辛かったのに、
それでも自分の考え方を曲げられない。
厄介な性格だなと思います…。

やっぱりこのご夫婦の考え方は
わたしは理解しがたいけれど、
お子さんを亡くした悲しみは深く、
その苦しみは消えないということだけはわかります。

このご夫婦の心が癒えるよう、
またこの赤ちゃんの眠りが安らかであるよう
影ながら祈りたいと思います。

真面目にいろいろ考えてしまった後で、
産科医がますます減りそうで
心配になりました…。

ランキングに参加しています。
応援クリックお願いします☆


妊娠・出産ランキング

スポンサーリンク

コメント

タイトルとURLをコピーしました