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【胎児治療体験記】赤ちゃんとのお別れ(11)〔完〕

赤ちゃんとのお別れの経緯

※この記事は過去に書いたものです。
手を入れるとその当時に感じた気持ちなども
こぼれおちてしまいそうなので
できるだけ当時の記載のまま掲載しています。
感情的な部分や稚拙な部分もありますが、
ご了承ください。

また、この赤ちゃんとのお別れの記事は
生理的に受け付けないという方もいると
思うので、
注意事項5をご参照いただいて
ご了承の上お読みいただきたいと思います。

記事記載日: 2009年07月01日

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長く短い5日間(11)~かみさま。~

昨日の日記 の続きです。

赤ちゃんがお骨になるまでは
こちらで待つようにと、
すこし奥まったところにある
待合スペースに案内されました。

ロビーから見えないように簡単な衝立で
仕切られた場所に、
テーブルセットが5つ。

わたしたちと同じように待っている
ご家族が二組いましたが、
それぞれのテーブルは
仕切られていなかったので、
何となく落ち着かない感じでした。

お清めだから、と言って
母がお茶菓子を頼んでくれて、
4人でお茶を飲みながら
待つことにしました。

亡くなってから5日経ち、
赤ちゃんのからだは見ていて
痛々しい状態になっていました。

「火葬が遅くなっちゃって可哀想だったね。
 こんなことになるなら、
 もっと早くお父さんに頼めばよかった」

言っても仕方がないと思いながらも、
そう言いました。

父は町内会の役員で、
いまは町内会の葬儀関係の係をしています。
実家が下町なので町内会の活動も活発です。

仕事と同じくらい熱心に
町内会の活動をしていた父が
葬儀社さんに連絡してくれたおかげで、
急なお願いにもかかわらず
連絡した翌日に火葬ができたし、
家に連れて帰ることもできました。

だからこそ、
もっと早く父にお願いしていたら、
亡くなってからも苦しい思いをさせずに
済んだのに、
という気持ちがすごくあって。

赤ちゃんに申し訳ない気持ちで
いっぱいでした。

すると、母が意外なことを言いました。

「そうは言ったって、
 火葬がもし日曜日とかだったら
 あんたからだが辛くて
 行けなかったでしょ?」

そんなこと、
まったく考えたこともありませんでした。

でも、確かに産後どこかハイな状態が
続いてたし
(産後は『お産ハイ』みたいになるよ、
って言ってたママさん仲間がいたので、
きっとそうなんだと思います)、
自分のからだのことなんて
あんまり気にしてなかったけど、
入院中は病室のなかをうろうろするので
精一杯でした。
早めに退院できたとしても、
斎場までついてこられた自信はありません。

「わーちゃんは、
 あんたのからだの回復を待つために、
 今日までがんばってくれたんだよ。
 お母さんがちゃんと
 火葬に立ち会えるようにって」

赤ちゃんは最期までどころか、
亡くなった後も
わたしのことを大事に考えて
がんばってくれたんだ、と思いました。
自分のことは全部あとまわしにして。

帝王切開で生まれてきてくれたら、
短い時間だけでも
生きられたかもしれないのに、
機械をつなぎなおしている
僅かな時間のあいだに
誰にも気づかれないよう、
静かに息を引き取って。

お産も軽く、陣痛後
4時間で生まれてきてくれて。

亡くなった後も一生懸命がんばって、
わたしを火葬に立ち会わせてくれた。

自分のことを何ひとつ望まずに
わたしのからだを案じ続け、
たくさんの苦しみに懸命に
最期の最期まで耐え続けてくれた。

こんなに強く優しい命を、
わたしは他に知りません。

ああ、わたしはかみさまを産んだんだ、
と思いました。
強く優しい、かみさまのような子を。

火葬が終わり、
お骨をおさめる段になりました。

『しっかりしたお骨で、
きれいに形が残ってますよ』
そう、斎場の方がほめて(?)くれました。

ダンナとわたし、
母と兄の順で足のほうのお骨をおさめ、
その後はちゃんと上に頭、
下に足の骨が来るように
斎場の方がきれいに
お骨をおさめてくれました。

小さな骨壷におさまってしまったのは
すごくさみしいけれど、
もう赤ちゃんを苦しめることはないのだと
思ったら、
さみしいのと同じくらいほっとしました。

家に帰り、窓際にしつらえていた
祭壇にお骨を祭ってから、
やっぱり窓際じゃ暑いかな?
なんて言って祭壇を動かして。
やっと赤ちゃんの仮の居場所ができました。

早くお仏壇を買いに行かなきゃ、
なんてダンナと話しました。

なんか宗教がかった話に
聞こえるかもですが、
人生は修行だと、
昔からおぼろげに思っていました。

人生は楽しいことばかりではなくて。
生きていれば理不尽なことが
たくさんあるし、
どんなに懸命に生きても命はいつか尽き、
からだは土にかえり、
魂は空にかえっていく。

そんな人生に何の意味があるんだろうと
思ったとき、
きっと
『いろいろな経験をして何かを知るため』
なんだろうと、自分なりに思ったんですね。

そう考えると、わたしの赤ちゃんは、
普通のひとが何十年もかけて
経験する苦難を
たった数ヶ月で経験し尽くして、
お空にかえったんだと思います。

ちゃんときみの修行は終わったよ、
がんばったね、って、
かみさまが呼び戻してくださったんだと
思います。

生まれてきたら味わえたはずの
たくさんの喜びを
享受することはなくとも。

かみさまのような子に
ならざるを得なかった赤ちゃん。

元気なからだを得られていたら、
何十年かかけて
もっとゆっくり人生を味わって
生きていけたのに。
そう思うと、本当に申し訳なく思います。

だからこそ、
赤ちゃんが産声をあげられなかった
この世で
わたしは一生懸命がんばらなくちゃ
と思います。

いつかかみさまに召された後に、
たくさん楽しい土産話をして、
赤ちゃんに喜んでもらうために。

今回で赤ちゃんとのお別れの
5日間の記事はおしまいです。
思いのほか長くなってしまってすみません(;^_^A

次回からは1ヶ月健診や
胎児治療特有の治療費の話、
妊娠中参考にした本など、
単発もしくは短めのテーマで
ぽつぽつ書いていこうと思います。

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