※この記事は過去に書いたものです。
手を入れるとその当時に感じた気持ちなども
こぼれおちてしまいそうなので
できるだけ当時の記載のまま掲載しています。
感情的な部分や稚拙な部分もありますが、
ご了承ください。
また、この赤ちゃんとのお別れの記事は
生理的に受け付けないという方もいると
思うので、
注意事項5をご参照いただいて
ご了承の上お読みいただきたいと思います。
記事記載日: 2009年06月11日
長く短い5日間(1)~お産~
おなかのなかで赤ちゃんが亡くなったのが
4月10日、
荼毘に付したのが14日。
暦の関係もあり、
5日間も時間がありました。
今日からはその5日間のことを
書いていこうと思います。
赤ちゃんの心音停止が確認されてから
しばらくして、
B先生のお話がありました。
「赤ちゃんが亡くなった以上、
早く産んであげなくてはいけません。
ウテメリン(張り止めの点滴)を止めれば
陣痛が来ると思いますが、
来ないようなら陣痛促進剤の使用等、
また処置を考えます。
すーさんは初産なので、
お産は夜になるのではないかと思います」
とのこと。
お産に対する恐れもありましたが、
ここで現実的な問題が発覚。
生まれてきてから赤ちゃんに
着させてあげる洋服がないのです。
実は、手術前日に、
肌着2枚とアフガンだけは買っていました。
赤ちゃんのこれからのことを
心配するのはやめよう、
赤ちゃんはここまでがんばって
大きくなったんだから、と思って。
アフガンと肌着2枚だけにしたのは、
お店で見ててもピンと来なくて
あんまり可愛いなあって思ったものが
なかったからです(;^_^A
手術が終わったらまた来よう、
なんて言ってました。
お産が夜になるなら、
お産が進むまではたっぷり時間があるので、
ダンナに
「赤ちゃんに着させてあげたいと思う
可愛い服を買ってきて」
とお願いすることに。
母に頼んでもよかったのかもですが、
最初で最後の洋服は、
ダンナに選んでほしかったので。
ダンナは当初会社に行くつもりで
スーツで来ていたので、
一度家に帰って
入院の荷物も持って来てくれることに
なりました。
しばらくして、助産師さんが
点滴と管を外してくれました。
13時前後だったと思います。
それからほどなく、陣痛が始まりました。
A先生には
事前に帝王切開と言われていたのに、
なぜか帝王切開のイメージが
湧かなかったので、
母親学級で一生懸命
呼吸法を聞いててよかったです
(まあ呼吸法と言ってもラマーズ法とか
そういう特別なものじゃなく、
ただゆっくりふかーく息をするだけの
簡単なものでしたが)。
ちなみに、B先生に陣痛が来たと言ったら
「亡くなった赤ちゃんはもう
お母さんにとって異物ですから」
と言われました。
まったくもうこの先生は…と思いましたが、
すでに感情がどこか麻痺していたのか、
怒る気力もありませんでした。
事実そうなのかもしれないけど、
言い方ってありますよね…。
陣痛が軽いうちは陣痛の合間に
母と話をしていましたが、
そのうちそんな余裕もなくなり、
しまいには腰をさすってくれる手を
払いのける始末…。
さすってくれる場所が逆に気持ち悪いって
何度も言ってるのに伝わらないイライラと、
母の困惑が気持ちが伝わるだけに
自分の態度の悪さへの反省と、
それらを上回る痛み。
でもいま振り返っても
申し訳なかったなって思います(・・;)
そうこうしているうちに、
ダンナが買い物から戻ってきました。
その頃はすでにベッドの上で
いろいろ姿勢を変えたり、
息を吐く回数を
指折り数えたりしていました。
陣痛が軽いうちはゆっくり
10回くらい息をすると
陣痛が収まったので。
15時30分、いよいよ分娩室に入ることに。
ダンナは立会うことができたのですが、
母はT大病院の方針で入れず。
ずっとそばにいてくれたのに、
母には本当に申し訳なかったです。
お産が進むまでは助産師さんが
二人ついてくれていて、
ダンナもわからないながらも
手を握ってくれたり
腰をさすってくれたりしました。
ダンナの手が
こんなに力強いと思ったことは
ありませんでした。
15時45分、破水。
その後、お産が進まないから
一度ハイケア回復室に戻る話が出るも、
陣痛の間隔が狭まったか何かで
(このあたりは記憶があやふや)
そのまま分娩室で様子を見ることに。
やっとすこーしだけいきむ許可が出て、
前後してB先生とF先生が見えました。
16時44分排臨、45分発露。
ちなみにこのとき、
会陰が切れたのが解りました(・・;)
全力でいきむこともなく頭が出たので、
その後はいきみを止められても
順調にお産が進み、49分に出産、
53分胎盤娩出となりました。
陣痛が来てから4時間弱という早さで
生まれてきてくれました。
「赤ちゃん、綺麗にしてから
お連れしますからね」
助産師さんがそう言ってすぐに
どこかに行ってしまったときは
顔を見せてもらいたかったなと思って
ちょっとさみしかったです。
無事に大仕事を終えてほっとしたし、
ものすごい達成感があって
ぼんやりしてしまいました。
赤ちゃんが生まれてきてくれたら
ぴたっと陣痛が止んで、
ホントにこんなにぴたっと止むんだなと
感心したりもして。
そんななかでの会陰縫合だったので、
麻酔のときだけすこし痛かったけど、
ほとんど痛みもありませんでした。
ちなみに、会陰縫合はF先生。
それまでにママさん仲間に
『B先生は帝王切開ができないらしい』
とは聞いていたのですが、
会陰縫合もできないのかなあと
思ってしまいました。
大学病院ならではなのかもですが、
なぜB先生じゃなく
今日はじめてお会いした
F先生が縫合するんだろう?
と不思議でした。
ダンナもそう思っていたみたいです。
縫合を終えてから、
母が分娩室に来てくれて、
「48分くらいに声が止んだから
そうかなと思ったんだ」とのこと。
そんなにすごい声で
うめいていたつもりはないのですが、
聞こえてたんだなあと思うと
恥ずかしいものがありました。
多分他の回復室に入院しているひとは
いなかったと思うのですが
自分がハイケア回復室に
入院していたときのことを思い出しました。
赤ちゃんはすぐに来てくれると思いきや
けっこう時間がかかるようで、
ハイケア回復室に戻ってお待ちください、
と言われました。
次 に続きます。
ランキングに参加しています。
応援クリックお願いします☆
コメント