※この記事は過去に書いたものです。
手を入れるとその当時に感じた気持ちなども
こぼれおちてしまいそうなので
できるだけ当時の記載のまま掲載しています。
感情的な部分や稚拙な部分もありますが、
ご了承ください。
記事記載日: 2009年06月10日
赤ちゃんの治療(22)~12時4分。~
前回の日記 の続きです。
病院に着いて切迫早産と診断されたのが
6時過ぎ、
8時過ぎにはいろいろな処置が
はじまりました。
ハイケア分娩室に入り、
切迫早産を止めるために点滴をし、
帝王切開手術の準備のために
尿管に管を通して。
そうこうしているうちに、
母も来てくれました。
ハイケア分娩室に入ってすぐつながれた
モニターには
わたしの心拍と赤ちゃんの心拍を示す
波形と数字。
赤ちゃんの心拍は、
いつもと違って遅かったと記憶しています。
普通の赤ちゃんが1分で130から160台と
聞きましたが、
90前後くらいだったんじゃないかな。
不幸にもその日は金曜日、
A先生は外の病院に診察にいらしている
日でした。
診察の時間になってから、
B先生はいらっしゃったのですが、
先生は先ほどの当直医の先生
(F先生とします)とB先生の2人のみ。
手術の準備が済んでからも、
なかなか手術をする気配はありません。
ときおりB先生はA先生に
電話で連絡しているようだったけど、
手術のゴーサインが出る様子はなく…。
「赤ちゃんの予後のために、
おなかにいても大丈夫な状態なら
手術をせずにこのまま様子を見たいと
思います」
32週ではまだ肺の機能が
発達しきっていない可能性も高く、
ただでさえ膀胱・腎臓の病気を
抱えている赤ちゃんには
厳しいという判断だったのでしょう。
でも、尿管に通した管の痛みや
違和感がひどく、
そのとき発熱があったせいか
すこし頭が朦朧としていたこともあって、
「早く手術をして! 早く!!」
と、ずっと叫びたい気持ちで
いっぱいでした。
赤ちゃんの予後のことを言われたら
口を出すこともできず、
早くしてほしいと叫びたい衝動を
抑えながら、
ただひたすら手術室の時計を
ずっと見つめていました。
せめて、手術をしないのなら、
早く管を外してほしかった。
こんな管を通されたままでは、
期待をしてしまうから。
先生方の様子が変わったのは11時半過ぎ。
一度超音波で赤ちゃんの様子を
ちょっと見た後に
モニターにつなぎなおしたら、
赤ちゃんの心音が拾えなくなりました。
「あれ? これはお母さんの心音かな?
赤ちゃんの心音は?」
B先生とF先生がそう仰ってるのを聞いて、
もしかしたら、と思いました。
でも、そんなわけない、
そんなこと思っちゃいけない、と思って、
B先生の次のことばを待ちました。
B先生はその後も
しばらくいろいろ試していましたが、
モニターに赤ちゃんの心音の波は
映らない…。
その後、何度も入院したハイケア回復室に
移るようB先生に言われ、
ベッドに横になった後、
B先生に
「残念ですが、赤ちゃんの心音が
拾えなくなりました」
と言われました。
そのとき、
壁の時計は12時4分を指していました。
涙が頬を伝っていくのがわかりました。
そう聞いた瞬間は、
どうして?
という気持ちでいっぱいでした。
どうしてそんな僅かな時間に赤ちゃんは
逝ってしまったの?
どうして手術を早くしてくれなかったの?
って。
それなのに、赤ちゃんが亡くなったことを
告げられた時間を見なきゃと、
変なところで冷静な自分がいて。
わたしは冷たい人間だな、
と思いました。
B先生が何かの処置のためなのか、
ハイケア回復室を出て行ってからは、
ただただごめんなさいしか
言えませんでした。
わーちゃん、こんなお母さんでごめんね。
元気なからだをあげられなくてごめんね。
ダンナ、せっかく授かった赤ちゃんを
死なせてしまってごめんね。
お母さん、初めての孫に会えるのを
楽しみにしていたのに、ごめんね。
お義母さん、せっかくわたしたちの元に
赤ちゃんを連れてきてくれたのに、
こんなに早くお返しすることに
なってしまってごめんなさい……。
助けてくれたひとたち、
応援してくれたひとたちに謝りたかった。
自分のせいで死なせてしまったという
気持ちが強すぎて、
自分のかなしみよりもごめんなさいの
気持ちでいっぱいで、
気持ちが涙になって止まりませんでした。
このときのダンナや母の様子は、
あまり覚えていません。
ただ、そばに寄り添ってくれている
ダンナと母の存在が
とてもあたたかかった。
ひとりじゃなくてよかったなと思います。
それからしばらくして助産師さんが
病室に来て、
点滴と管を外してくれました。
こうして、赤ちゃんの治療は
終わりを告げました。
会いたいと願ったわたしのために、
赤ちゃんは生まれてくる前から
7回もの手術に耐え、
32週1日の短い命を
一生懸命生きてくれました。
生まれてもいないのに、
わたしの期待に応えようと
一生懸命がんばってくれました。
そんな赤ちゃんを心底誇りに思うとともに、
元気なからだをあげられなかったことが
本当に悔しく、
申し訳ない気持ちでいっぱいです。
今回の日記で、赤ちゃんの治療については
おしまいです。
産後にわかった赤ちゃんの病状については、
また明日以降の日記に書くことにします。
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